いちじくと女性のからだ|古代から受け継がれてきた果実の話

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いちじくを食べるとき、その甘さの奥にある長い歴史を思う人は少ないかもしれません。

この果実は、人類が農業を始めた頃から食卓にあり続けました。古代文明の記録に登場し、薬として扱われ、やがて各地の食文化に根付いていった。女性との関わりも、その長い歴史の中で自然と積み重なってきたものです。

今回は、いちじくが歩んできた道のりを辿ってみたいと思います。




「無花果」という名前が教えてくれること

いちじくの漢字表記は「無花果」。花が咲かずに実をつけるように見えることから、中国でそう名付けられました。

でも実際には、いちじくはちゃんと花を咲かせています。ただ、その花は果実の内側に咲いているのです。外側からは見えない場所に、無数の小さな花が密集して開いている。あのざらっとした果肉の粒、ひとつひとつが花の跡です。




6000年以上前から続く、いちじくと人類の歴史

いちじくの原産地は、西アジアから地中海東部にかけての地域と考えられています。少なくとも6000年以上前から栽培されていたと考えられており、古代エジプト、メソポタミア、地中海沿岸の文明と共に歩んできた果実です。

古代エジプトでは壁画や副葬品にいちじくの姿が確認されており、食されていた記録も残っています。糖度が高く保存にも適したいちじくは、砂糖のなかった時代の貴重な甘味源として広く重宝されていました。

その存在感は食だけにとどまらず、西洋の文化・文学にも深く刻まれています。
旧約聖書にはいちじくの葉が登場し、古代ローマの建国にまつわる記録にもいちじくの木が記されています。特定の意味を持たせるためというより、それだけ日常に身近な存在だったからこそ、さまざまな記録に自然と現れてきたのでしょう。




なぜいちじくは「女性に良いもの」と受け継がれてきたのか

いちじくが女性と結びついて語られてきたのには、実用的な背景があります。

民間療法の中で便通を整える・滋養をつける果物として用いられ、とくに女性の体調ケアに取り入れられることも多かったようです。カルシウムや鉄、カリウムなどのミネラルに加え、腸の働きを助ける水溶性食物繊維(ペクチン)も含まれています。

「食べると体が整う」という実感が、長い時間をかけて「女性に良いもの」という認識として積み重なってきた。それが文化的な結びつきの根底にあるのかもしれません。




日本への伝来 ―「薬」として珍重された果実

いちじくが日本に伝わったのは江戸時代初期、17世紀のことだとされています。中国から長崎に持ち込まれ、「蓬莱柿(ほうらいし)」と呼ばれました。

「蓬莱」とは、不老不死の仙人が住むとされた理想郷のこと。「南蛮柿」「唐柿」といった別名とともに、異国から来た特別な果実として受け止められていたことがうかがえます。

導入当初のいちじくは食用よりも薬効を期待される植物でした。寺院や医家の庭に植えられ、本草書にも効能が記され、便通を整える・体の熱を冷ますなどの目的で用いられていました。庶民の果物として食卓に広がるのは、明治以降のことです。




わたしの酵活とイチジク

長い時間をかけて女性の体に寄り添う果実として受け継がれてきたイチジク。その中でも、わたしの酵活が選んだのは「博多とよみつひめ」という福岡県産の希少な品種です。

 

とよみつひめは糖度が高く、皮ごと食べられるやわらかさが特徴で、福岡の限られた産地でしか栽培されていません。
大量生産には向かない、手間をかけて育てられる品種です。

わたしの酵活がこのイチジクを素材に選んだのは、土地や育て方も含めて「何を体に入れるか」を大切にしたいという考え方からです。

そのイチジクを使い、水なしでそのまま食べられる形にしたのが「わたしの酵活」。
フルーツジャムのような甘酸っぱい味わいで、忙しい毎日の中でも続けやすい発酵インナーケアです。

 

まずは10日分のおためしから。
→ わたしの酵活を見てみる

Hello Inner Care!

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